元少年飛行兵ビデオ証言集
〇「元少年飛行兵ビデオ証言集」、第一集、第二集、第三集を刊行しました。
元少年飛行兵(少飛)の皆さんは、一番若い第20期でも90歳前後になっています。
私達、陸軍少飛平和祈念の会は、元少飛の方々の貴重な体験を後世に伝えるため、お話をお聞きし、ビデオに収録する作業を続けています。
2019(令和元)年8月15日、そのうちの6人の元少飛の方のお話を「元少年飛行兵ビデオ証言第一集」、A4版、150頁を作成しました。以後、同様な頁数で、「第二集」「第三集」を刊行しています。
希望者には、印刷製本の実費500円と郵送費300円、計800円分の切手を事務局まで郵送していただければ、折り返し証言集をお送りしています。
また、本会へ入会を希望される方は、年会費千円で証言集をお送りしています。
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元少年飛行兵ビデオ証言第一集 目次 (1)陸軍少飛平和祈念の会について 陸軍少飛平和祈念の会会長 指田和明 (2)ビデオインタビュー雑感 同副会長 鳥海賢三 (3)少飛第17期 大橋勝治さん ・・・・・・・・ 7頁 (4)少飛第17期 金徳泰さん ・・・・・・・・・35頁 (5)少飛第17期 齋藤光雄さん ・・・・・・・・ 57頁 (6)少飛第11期 関利雄さん ・・・・・・・・・ 75頁 (7)少飛第18期 多田義明さん ・・・・・・・・ 105頁 (8)少飛第17期 柳橋晃一郎さん ・・・・・・・ 129頁 |
元少年飛行兵ビデオ証言第二集 目次 (1)陸軍少飛平和祈念の会について 陸軍少飛平和祈念の会会長 指田和明 (2)少年飛行兵・写真・・・・・・・・・・・・・・・4頁 (3)少飛第11期 金﨑 豊さん ・・・・・・・・ 7頁 (4)少飛第14期 瀬戸山定さん ・・・・・・・・・35頁 (5)少飛第15期乙 上野辰熊さん・・・・・・・・ 57頁 (6)少飛第15期乙 菊池乙夫さん・・・・・・・・ 75頁 (7)少飛第17期 佐藤昭さん ・・・・・・・・・ 105頁 (8)少飛第17期 吉田信輔さん ・・・・・・・・ 129頁 |
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元少年飛行兵ビデオ証言第三集 目次 (1)「元少年飛行兵ビデオ証言第三集」の発行に当たって 陸軍少飛平和祈念の会副会長 少飛15期乙 菊池乙夫 (2)少年飛行兵制度の背景(戦争への歩み-終戦まで)・・6頁 (3)少年飛行兵と飛行機・・・・・・・・・・・・・・12頁 (4)少飛第11期 鈴木 善雄さん ・・・・・・・・ 21頁 (5)少飛第12期 島崎 貞治さん ・・・・・・・・37頁 (6)少飛第15期乙 北村彦四郎さん・・・・・・・ 69頁 (7)少飛第16期 田中通義さん・・・・・・・・・ 87頁 (8)少飛第17期 吉田金司さん ・・・・・・・・ 119頁 (9)少飛第17期 杉本 明さん ・・・・・・・・ 135頁 |
(元少年飛行兵ビデオ証言第一集より)
陸軍少飛平和祈念の会について 陸軍少飛平和祈念の会会長 指田和明
陸軍少飛平和祈念の会は、東京陸軍少年飛行兵学校の遺跡保存や資料収集等を通じて、戦争の悲惨さと平和の尊さを語り継ぐとともに、将来の「陸軍少飛平和祈念館」の設立を目指しています。会員は、元少年飛行兵と関係者及び市民で、平成28(2016)年に発足しました。
本会の前身は「少飛平和祈念館設立委員会」です。平成21(2009)年に、元少年飛行兵と東京陸軍少年飛行兵学校の元職員が設立した団体で、「陸軍少年飛行兵揺籃の地」と「東航正門跡地」の石碑、及び慰霊塔を建立し、少年飛行兵の平和祈念館の設立を図ってきました。結実の一つが、学校跡地に設立された武蔵村山市歴史民俗博物館分館です。「少飛平和祈念館設立委員会」は、高齢化等により活動を停止しましたが、本会は、この委員会の活動を継続・発展させるため、広く市民にも参加を呼びかけ、再結成したものです。
元少飛の方々は、一番若い最後の20期の方々でも90歳近くになる高齢です。元少飛の方々の悲願は「予科練のような資料館」の設立でした。海軍の飛行予科練習生は、若い航空志願兵であり、厳しい訓練により多くの戦果をあげました。その訓練の中心地が茨城、霞ヶ浦の海軍基地であり、「予科練平和記念館」が建てられています。飛行予科練習生の訓練や生活が資料と共に展示され、小学生、中学生など、広く人々が訪れて、理解を深める場になっています。
陸軍の少年飛行兵は、海軍の飛行予科練習生と並ぶ、若い航空志願兵であり、少年飛行兵を育成するため、東京、大津、大分に三校の陸軍少年飛行兵学校が設けられました。総計4万4千人が卒業し、4千5百人が戦死、その1割は特別攻撃隊であったとされています。
しかし海軍の「予科練」に比肩する、陸軍の「少飛」の存在は、よく知られていないのが実情です。終戦時の九州の知覧、大刀洗、萬世等の有名な飛行場は、少飛出身の若い航空兵が沖縄に飛び立った、陸軍の特攻出撃基地ですが、予科練の特攻と混同されているような話も耳にします。「予科練」と「少飛」は、共に国の礎となった若き航空志願兵であり、その功績は永く語り継がれてしかるべきと考えます。「予科練」を育てた象徴が「霞ヶ浦」ならば、「少飛」を育てた象徴は「東京陸軍少年飛行兵学校」です。東京本校の役割は、きちんと史実に留めることが必要と思われます。
私達は今、現存されている元少年飛行兵の方々の声を、ビデオに収録する作業を続けています。元少年飛行兵の方々は、皆高齢であり、永遠に機会が失われる前に、そのお話をビデオの記録に留め、将来「陸軍少飛平和祈念館」が設立された際に、ビデオを通じて子供たちに、元少年飛行兵の声と想いを聞いてもらいたいと願っています。
この「元少年飛行兵 ビデオ証言第1集」は、ビデオインタビューの一端を提供してビデオ収録を補い、広くご理解、ご協力をいただきたく作成したものです。
令和元年(2019年)8月
ビデオインタビュー雑感 陸軍少飛平和祈念の会 副会長 鳥海賢三
この「ビデオ証言第一集」は、元少年飛行兵(少飛)の方々のお話を、できるだけ忠実に文字化したものです。収録の雰囲気や状況もお伝えできるよう、話し言葉を活かし、なるべく早く、多くの人に知って頂きたく刊行しました。本文の内容については、元少年飛行兵の方々の記憶が正確であることを頼りに、可能な限り事実確認に努めましたが、十分でない所もあるかと危惧しています。
元少年飛行兵の生存者を探す手掛かりは一冊の名簿でした。それは少飛17期の平成13年に生存していた人の名簿でした。東京近県の生存者366名に宛てて、ビデオ収録に応じて欲しいと、往復葉書を出しました。平成30年のことです。その結果、70通が既に死亡、生存確認できたのが35通、ビデオ収録に応じるとの返事は僅かに5通、120通は宛先不明でした。生存者の多くは闘病や体調不良で、ビデオ収録は不可能との事でした。年間15人の目標は、不可能かに思えましたが、ビデオ収録を始め、一人一人元少飛の方にお会いしていくと、芋づる式に、あの人もまだ生きてる、あの人もまだ生きてると、うれしい情報が次々と寄せられました。結局、平成30年度の目標15人を達成し、今年度も、目標15人の達成を目指しています。
ビデオインタビューを続け、元少飛の方々のお話しを伺うなかで、いろいろな思いを持つようになりました。
一つは、元少飛の方々が、非常に優秀な方々だったということです。お話しの中にも6万人の志願者の中から選ばれたとあります。他の資料では志願者は数十万人と記されています。全国の多くの志願者の中から、厳しい選抜を受けて選ばれた少年達だったのです。海軍の飛行予科練習生も非常な人気があり、航空兵に憧れる当時の少年達の状況が伺えます。当然のことですが、選ばれたことを誇りに思い、少年飛行兵であることの自信とプライドが強く感じられました。
他面、少年飛行兵は幼なかったという事実です。年齢は、14歳、15歳、身長は150センチ以上。昭和18年には、14歳未満133センチ、15歳未満136センチ以上に、引き下げられました。身長の低い少年達は、身長の不足を、靴下を何枚も履いて補い、合格したという話もあります。大人の肩にも届かなかった少年も入っていたのです。「陸軍の幼稚園」という言葉もありました。荒々しい大人の軍隊社会の中で、「生徒」だった少年飛行兵達は、異色の存在であったと思われます。当時、「航空兵」は、まだ目新しい存在で、優秀な「少年飛行兵学校の生徒」は、「航空兵の卵」として注目されていました。先輩の航空兵は戦場に出ていて、学校では、多くの場合、歩兵あがりの班長等に厳しく躾けられたようです。
特筆すべき少年飛行兵の性向の一つとしてその純真さがあげられます。多くの元少飛の方々が「軍国少年だった」と述懐します。15歳前後の少年達が、大勢の人が掲げる国旗と万歳万歳の声に送られ、強く昂揚したであろうことは想像に難くありません。少年飛行兵達は、厳しい教練を乗り越え、ほとんど脱落者を出しませんでした。
訓練は、厳しかったが役に立った、少年飛行兵は良い制度だった、と多くの方々が評価します。厳しい訓練は人格形成に有効だった。人生で我慢することを覚えた。軍事教練で仲間意識が出来た。今の若い人達に理解できないかも知れないが、と話します。夜間行軍で、完全武装で重い背嚢を負い、銃を担いで一晩中歩き、脱落者が出ると小隊の連帯責任が問われ、自ずと仲間意識が強くなったそうです。
幼くして戦争に巻き込まれた少年達という意味では、海軍の予科練習生と陸軍の少年飛行兵に違いはありません。飛行予科練習生も少年飛行兵も、長じて戦場に出れば、先輩兵士に混じって訓練の成果を発揮しています。知覧の戦記等には、特別攻撃隊に参加した少飛出身の若い航空兵が、迷いなく突き進んで行った姿が印象的に描かれています。
少年飛行兵の最年少の戦死者は17歳2か月。昭和18年秋、15期乙として入校し、昭和20年5月に特攻死するまで僅か1年8ケ月。何故このような悲劇が起こったのか。少年飛行兵の制度は、基礎訓練1年、上級校1年、更に戦地で実戦訓練を積む制度であり、17歳の死を想定していたとは思えません。
令和になった今日に、少飛17期の方々が集まり、毎月17日に昼から酒を飲み談笑しています。平均年齢90歳。僅か2年足らずだった同期の経験が、人生90年の時を超えて結束しています。会の最後にいつも校歌を歌います。
元少年飛行兵の皆さんの気持ちと言葉をきちんと受けとめ、後世に引き継ぎたいと心から願っています。
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